誰もが「地の塩」のひと粒
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「不謹慎な表現」と承知してあえて言うなら、
私達、東京やその近辺に住んでいる者が、阪神大震災のことをどれほど実感として思い、そして今でもそのことを思い出すだろうか。
あの時は大変な衝撃だったのだが、10数年過ぎてどれほど記憶しているだろうか。
それ以外にも、ついこの前のNZ地震、その前にも幾つもの大地震、災害で多くの犠牲になった方々がいるのに、どこまで思いを馳せただろうか。

今回の東北地方太平洋沖地震は、「不謹慎な」言い方をすると、私達日本人の精神性を大きく転換するものになるかもしれない。
何故そう思うかというと、今回は東京の人達が恐怖を実感したからだ。
被害が広範囲だということや犠牲の大きさももちろんだが、「東京に住んでいる者が体験した」ことは大きい。
いつもそれを免れてきた私達。

結局、体験したことしか実際にはわからない、ということだ。
偽善者ぶるのでも、冷たいのでもなく、また、どんなに他人の痛みに寄り添うなんていっても、やはり体験していないことには大きな溝があると思う。
被害の様子をテレビででも観て感情として悲しんだりすることは、人として多くの人ができるだろうけど、体験というのはそれを軽く超える。
便利に慣れた東京その近辺の人たちが恐怖を体験し、不自由を体験(なんてことない「不自由」なんだけどね、ヌルいよね、やっぱり私達)したことは今までと違う。
そうでもなきゃわからないのか!と言われても、それが現実だと思う。
 
そしてネットの力の大きさを感じる。
色々な人が自分の役割というものを考えている。またそれを導くさまざまな専門分野の人たちがいる。
何か沈痛な顔だけしていないといけないような雰囲気も今まではあった気がするが、
それぞれができることをすべきであるという風に変わってきたと思える。
善意や熱意だけで現地に入ろうとか、
ミスマッチな寄贈をしてしまうようなことにも立ち止まって考えるようになっている。
ただ頑張らなきゃ、よりも怖かったことや悲しい感情は抑えずに出すべきだというようになってきている。

本当に、大きな犠牲を払わないとわからないことが愚かともいえるが・・・
何か大きなきっかけになる気がする。





テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記

コメント
コメント
いや、本当に言うとおりだと思う。
私本当に「ヤバイ」って思ったからね…
あれだけの人が、時間が止まったように立ち止り、不安そうな顔をする。部屋に帰ってくれば色々なものが転がっている…結局実際にその場に置かれなければ、他人事なんだと思う。今回東京人にとって本当に被災地を思い町を暗くし、節電を心がけている。被災地は本当に心から一日でも早い復興祈っているけれど、東京の人はできることを今こそやるべきだと思う
2011/03/14(月) 22:44:15 | URL | 妹 #- [ 編集 ]
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