誰もが「地の塩」のひと粒
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価値を認める
本日のNHK「ためしてガッテン」で認知症の改善についてやっていました。

実は親族にこの病気の人がおり、薬で治療をしていました。
薬が効くようで3年ほどそれほど進行せず、今年のGWに私が会った時もよほどおかしいようなところは見受けられませんでした。
が、その後症状が悪くなってきたと聞き、私としては、その本人以上に同居の家族が気にかかり、時折電話をして様子を聞くだけ、口先だけのことしかしていませんが・・・
最近は別の薬を医師から処方されているとのこと、家族が「大人しくなった」と言うので、それはそれで何か本来の感情をspoilするようなものではないか気になってしまいました。
 
そんなことがあって見たこの番組、紹介されていたのが「バリデーション」という方法です。
相手の言ったことをそのまま繰り返す、というのが、この方法のひとつにありますが、
実はそれ、20年位前に上の息子が保育園時代に聞いた講演内容に同じことがありました。
その時は「会話のキャッチボール」というような言い方だったと思い、「バリデーション」という名称は聞かなかったと思います。
ただし内容は、
子供が「今日~をしたんだよ」と言ったら「へぇ、~したの?」と繰り返す。
楽しかったか、結果はどうだったか、などは親から聞かない。
というもので、同様だと思います。
当時は「へぇ、それでうまくいったの?」「勝ったの?」「どんな遊びなの?」などと聞いてこそ、子供がそれに答えて親子の会話は進むものだと思っていましたので、「めんどーだな」くらいに思いました。
しかし、親は無意識にでも「評価」を付け加えてしまうんでしょうね。
同じことが認知症の人相手にもいえるのでしょう。
 
バリデーション療法「共感して接する」療法
 
ところで、番組中には他にも介護する側が笑顔でいること、とも紹介していましたね。
勿論、「ムリして繕う笑顔」ではなく。
「笑顔は伝染する」ともいいます。

よくわかります、逆のパターンが。

家人に対してどんどん笑顔が減っている、無表情に近い。それが悪循環をしている。
また、家人はとにかくこちらの言うことをまず否定、あるいは自分流に言い替える。
「そうだね」がないことに私も疲れて会話ができなくなる。
私も相手の価値を認めていないし、相手も同じ。

さて、相手の変化を期待するより自分が変われ、ともいいますね、私がまずしなくちゃならないんでしょうかね。
ならないんでしょうね・・・(苦笑) 他人と暮らすって大変だなぁ・・・
 
最後は自分の愚痴でしたが、
結局、認知症でも高齢者でも子供でも、普通の会話の中でも、同じことが必要だということですね。
まず認める、と。
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