誰もが「地の塩」のひと粒
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メガソーラーができたらしい!・・・が
ケータイの待ち受け画面にニューステロップが流れるようになっているのですが、

国内最大級、川崎に太陽光発電エリア 年内にも

というのを見かけたので、帰宅してPCでニュース記事を確かめようと、
「メガソーラー 川崎」などと検索しても、すぐにズバリとこの記事に行き当たらない。
東電が一方でこういった動きをしていることを隠そうとしているのか?と、
何かの陰謀かとまで思い、結局、朝日新聞のサイトで確認しました。

・・・なんというか、我が街・川崎市で晴れ晴れしいニュース!?と思いきや、
東京ドーム7個分」のパネルで、「一般家庭5900世帯分」の電力供給量・・・

えっ?5900?・・・ってどのくらい?

調べたら、川崎市の世帯数が約66万、うちの区で約11万8千・・・ 

桁が違いすぎるので、更に色々探してみたら、
私の住んでいる●●区○○町(「丁目」は無し)が約1400世帯とのこと、
周辺3つの「丁」にあたる地区でだいたい5~6千世帯くらいになるようです。
これは、小学校の学区域くらいをカバーするかと思います。
それだけの面積を使ってのメガソーラーでまかなえるのが、そのくらいということですね・・・

なるほど、
脱原発の道とはそういうものなのですね。
もはや、これから脱原発を目指さないなんてありえないと考えますが、
本気で意思とスピードをもって進めないとなりませんね。
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「不謹慎な表現」と承知してあえて言うなら、
私達、東京やその近辺に住んでいる者が、阪神大震災のことをどれほど実感として思い、そして今でもそのことを思い出すだろうか。
あの時は大変な衝撃だったのだが、10数年過ぎてどれほど記憶しているだろうか。
それ以外にも、ついこの前のNZ地震、その前にも幾つもの大地震、災害で多くの犠牲になった方々がいるのに、どこまで思いを馳せただろうか。

今回の東北地方太平洋沖地震は、「不謹慎な」言い方をすると、私達日本人の精神性を大きく転換するものになるかもしれない。
何故そう思うかというと、今回は東京の人達が恐怖を実感したからだ。
被害が広範囲だということや犠牲の大きさももちろんだが、「東京に住んでいる者が体験した」ことは大きい。
いつもそれを免れてきた私達。

結局、体験したことしか実際にはわからない、ということだ。
偽善者ぶるのでも、冷たいのでもなく、また、どんなに他人の痛みに寄り添うなんていっても、やはり体験していないことには大きな溝があると思う。
被害の様子をテレビででも観て感情として悲しんだりすることは、人として多くの人ができるだろうけど、体験というのはそれを軽く超える。
便利に慣れた東京その近辺の人たちが恐怖を体験し、不自由を体験(なんてことない「不自由」なんだけどね、ヌルいよね、やっぱり私達)したことは今までと違う。
そうでもなきゃわからないのか!と言われても、それが現実だと思う。
 
そしてネットの力の大きさを感じる。
色々な人が自分の役割というものを考えている。またそれを導くさまざまな専門分野の人たちがいる。
何か沈痛な顔だけしていないといけないような雰囲気も今まではあった気がするが、
それぞれができることをすべきであるという風に変わってきたと思える。
善意や熱意だけで現地に入ろうとか、
ミスマッチな寄贈をしてしまうようなことにも立ち止まって考えるようになっている。
ただ頑張らなきゃ、よりも怖かったことや悲しい感情は抑えずに出すべきだというようになってきている。

本当に、大きな犠牲を払わないとわからないことが愚かともいえるが・・・
何か大きなきっかけになる気がする。





運動だの現象になってきたの?
いやいや~、なんやら大げさなことになってますな~
「タイガーマスク運動」「タイガー現象」「伊達直人現象」
おまけに記事の見出し「人情列島」・・・
よほど楽しいネタがないのでしょうか。

最初の人は、本当に地域の中のどなたかの善意だったと思われるが、
なんていうか、こうなってくると日本人って「我も我も・・・」だという気がしてきます。
私が根性が腐ってるから、こんな見方をするのかもしれませんが・・・
中には「恵まれないお子さんに・・・」という手紙がついていたという件もあったそうで、
善意の行為の中に無意識にどう見ているかが表れているなぁと、つくづく思いましたね。

災害のときの支援物資にも、中古品だの生ものだのを送ってよこす例がありましたね。
何が役立つものか、考えもせず、リサイクルショップかと間違えてるのかと。
個人的にも「これもう着ないから」って服を押し付けられたことがありますが、
今の日本で、「自分の要らないものは他人も要らない」って往々にしてあることですよ。
悪い言い方ですが、貧困が多かったり、日本との格差も大きい外国への寄付とはちょっと違うと思います。
同じ時代に同じ日本で生きているわけですから、使い古しなんかでいいことないと思うのです。

「可哀相な人に恵んであげる」
自分も一時は母子家庭施設にいたので、ある面ではその恩恵を受けたことも事実ですし、
ある面では何か卑屈になってしまう、下に見られているのか、と思ったことも事実です。
しかしまた、「恵んでもらう方」が要求することは結構シビアに見られるとも思います。
善意をどういう形で渡せるのがよりよいのか、
金銭や物は勿論必要なことも多いけど、それ以外はどうか、
これから日本人が学んでいくことがいろいろありそうです。


偏ってるんじゃないか?

石巻3人殺傷事件の裁判員裁判で被告少年に死刑判決というニュース。
この事件当時の自分のブログ(楽天ブログにいた時)に、私は「デリート希望」と書いた。

あの、耳かき店員の事件でも「そんな店に勤めてたのが悪い」という印象を持つ人もいるだろうし、
石巻事件でも「そんな男と10代で子供までつくるような女の子も悪い」と思う人がいるだろう。
被害者側の非や犯人の「心の闇」まで考えれば、死刑判決なんてそう出せないかもしれない。

やっぱり私は、無関係の人の命まで自分の要求を通す為だけに奪ったことを強調したい。
耳かき店員のおばあさん、少女の姉や友人、ほかにも同様の事件はあるけれど、
もうそのことが「自分の命でも償えない罪」だということを強調したい。
どんなに反省しようが悔やもうが、償えない罪があるということ。

特にこの事件の少年は、犯行に自分より格下の仲間を共犯に強要したり、本当に悪質で根性が腐っている。
実母への暴力もあったことから、確かに彼の生い立ちに何があったかは検証されてよいが、
それはそれ。
DV経験のある身として「生きている限り怖い」というのはよくわかる。
それにしても、殺された姉や友人は勇敢だと思うよ・・・姉は身を挺して少年と妹を引き合わせないようにしていたそうだし。

・・・と、まぁ、書こうと思ったのは犯罪そのものの話でなく、裁判員の話。
また裁判後に顔を出しての裁判員の会見が報じられていた。
ああして特定の一人の裁判員の語る言葉を、まるで代表の言葉のように報じるのは疑問。
顔を隠して語った裁判員もいたようだが、普通の感覚はそっちじゃないだろうか。
顔を隠さず語ることが何か勇気ある行為のように思うのなら思い違いではないか。
会見の中で「一生辛い思いを背負っていく」とか「一生悩み続ける」とか「恥じることでない」とか言っていたけど、
逆に変な先入観を持たせないだろうか。
「このような犯罪者には確信を持って死刑を選択した」などと語る裁判員はTVには出てこないだろうから、
こんな繊細そうである意味優等生的な裁判員しか私たちの目には触れないだろう。
それは偏っていると思う。

会見でこの人がうなだれた瞬間にシャッター音が響く。
そういう写真が私たちの見るものである。






テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース

意図は正義感でもないかもね
何か話題になるネタが出てきた時は、その裏に注意せよと言うではあ~りませんか!

石原都知事の言うように純粋に愛国心とか正義感なりの内部告発かどうか、
深読みすれば、そうとばかりも言えないんじゃ?とか色々考えちゃいます。

誰が困って、誰がこれによって目くらましの術を使ってすり抜けるのか、そういうこともある。
小●の何か、とか最近あったけかな~?
朝鮮学校無償化なんかも、どんどんそっちへ進んでてまずいでしょうよ!
警察のテロ対策データ流出こそ重大だし。

勿論、この事実は国民が知るべきものだったとは思うけど、
今更ビデオが出てきても中国の対応は別に変わらないでしょ。

隠すからいけないんだw最初から。
そういうのってバレるんだから(実体験に基づく感想w)

当初から国はタッチしてません、なんだし、おかしな話。
そのくせ議員に見せたのが、たかが数分に編集したビデオなんて!




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