誰もが「地の塩」のひと粒
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
えっ、読んだことないんですか?・・・といわれた、あの
読書家の友人に「・・・えっ、読んだことないんですか?!」と言われた「ノルウェイの森」
ええ、読んだことも読もうと思ったこともないんです。ダメでしょうか。

その小説の話題はもう20年以上前でしたね、当時、女子大生だったか働き始めた頃の同級生が感想を語ったことがありました。もう忘れてしまいましたが、なんというか、出口のない物語、みたいなことを言っていたような気がします。
既に当時、子持ちのしょうもない結婚生活をしていた自分には、その上下巻のハードカバーを買う余裕もありませんでしたね。いえ、苦労話のコーナーではありません。まぁ、それ以降も特に興味がなかったわけです。
なので、全くの知識無しで映画を観た感想です。結構、貴重な感想ではないでしょうか(自画自賛)

2分でいい歌を8分にするのもわからない私ですので、感想は手短に書きたいと思います。
あれこれと形容して実体がわからなくなってるのに、なんとなく饒舌だから「いかにも優れた」ふうな
評論,感想、あるいは歌詞、そういうものを最近は好みません。

大きな感想の柱として 
①青春の煩悩、それはセックスに関することに尽きる
②若い時には、大いに悩み傷つき傷つけ、経験値を上げるべきである
③女性は究極の「かまってちゃん」である(これは「ぐるりのこと」の感想でも書いたが)
④日本人監督でないヴィジュアル、大きな意味でアジア映画という映像は美しかった

しかし、自分がこの映画で殆ど胸に迫るものがなかった最大の理由は、
「この物語は、大学時代をすごした経験のある人のもの」という僻みかもしれません。
この時代に青春を過ごした、現在の60代くらいの人達の下地というのがこれか、という気もしました。
悩める大学生時代をとばして、いきなりろくでもない現実の生活に入ってしまった私のような人間、
高卒、中卒、中退、その他10代のうちに社会に出るハメになった人に、この映画(作品)はピンとこないかもしれません。
一点感情移入できたといえば、
ワタナベが愛する人の死に直面した後の苦悩する姿でしょうか。
なにも恋人に死なれるような重い経験でなくてもいいのですけど、本当に惨めになったり傷つけたり、
泣き喚くような恋愛、どうしようもない性欲との対峙、
そういうものは是非、若いうちに経験しておくものだとつくづく思いました。
少なくともそういうことは経験できたので私は幸せでしょう。

菊池凛子の顔は不思議な顔立ちで、あまり感情移入できませんでした。
ミドリとの関係も、ワタナベが「揺れ動く」とか翻弄されるとかいうような深さが、私にはわかりませんでした。
また、原作でどの程度の重要さを占めるのかわかりませんが、
レイコさんという女性とのくだりはなんだか蛇足に思えました。
まぁ、愛してなくてもヤルことはヤれる、てなことですかね。よくわかります。
しかし、ワタナベが浮ついた男には全然見えなかったのは、松ケンの魅力なのかわかりませんが、
真摯な若者の姿に思えました。

スポンサーサイト
価値を認める
本日のNHK「ためしてガッテン」で認知症の改善についてやっていました。

実は親族にこの病気の人がおり、薬で治療をしていました。
薬が効くようで3年ほどそれほど進行せず、今年のGWに私が会った時もよほどおかしいようなところは見受けられませんでした。
が、その後症状が悪くなってきたと聞き、私としては、その本人以上に同居の家族が気にかかり、時折電話をして様子を聞くだけ、口先だけのことしかしていませんが・・・
最近は別の薬を医師から処方されているとのこと、家族が「大人しくなった」と言うので、それはそれで何か本来の感情をspoilするようなものではないか気になってしまいました。
 
そんなことがあって見たこの番組、紹介されていたのが「バリデーション」という方法です。
相手の言ったことをそのまま繰り返す、というのが、この方法のひとつにありますが、
実はそれ、20年位前に上の息子が保育園時代に聞いた講演内容に同じことがありました。
その時は「会話のキャッチボール」というような言い方だったと思い、「バリデーション」という名称は聞かなかったと思います。
ただし内容は、
子供が「今日~をしたんだよ」と言ったら「へぇ、~したの?」と繰り返す。
楽しかったか、結果はどうだったか、などは親から聞かない。
というもので、同様だと思います。
当時は「へぇ、それでうまくいったの?」「勝ったの?」「どんな遊びなの?」などと聞いてこそ、子供がそれに答えて親子の会話は進むものだと思っていましたので、「めんどーだな」くらいに思いました。
しかし、親は無意識にでも「評価」を付け加えてしまうんでしょうね。
同じことが認知症の人相手にもいえるのでしょう。
 
バリデーション療法「共感して接する」療法
 
ところで、番組中には他にも介護する側が笑顔でいること、とも紹介していましたね。
勿論、「ムリして繕う笑顔」ではなく。
「笑顔は伝染する」ともいいます。

よくわかります、逆のパターンが。

家人に対してどんどん笑顔が減っている、無表情に近い。それが悪循環をしている。
また、家人はとにかくこちらの言うことをまず否定、あるいは自分流に言い替える。
「そうだね」がないことに私も疲れて会話ができなくなる。
私も相手の価値を認めていないし、相手も同じ。

さて、相手の変化を期待するより自分が変われ、ともいいますね、私がまずしなくちゃならないんでしょうかね。
ならないんでしょうね・・・(苦笑) 他人と暮らすって大変だなぁ・・・
 
最後は自分の愚痴でしたが、
結局、認知症でも高齢者でも子供でも、普通の会話の中でも、同じことが必要だということですね。
まず認める、と。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。